十勝農業ストーリー

牛を牛を牛らしく育てるために

宮地牧場/宮地晋也さん

「グラスフェッド」をご存知でしょうか。これは、牛を牧草のみで育てる飼育方法のことを指します。本来、牛は草食動物。彼らに草だけを与える、というのは、ごく自然なことのように思えます。ところが、乳牛の場合はそうではありません。乳を出す能力を十分に発揮するため、多くの牧場では、トウモロコシや大麦などの穀類、ふすま、ビートパルプなどを混ぜた栄養価の高い配合飼料を与えているのです。そんな中、清水町の宮地牧場を営む宮地晋也さん、倫子(みちこ)さん夫妻は「牛たちをいかに自然な環境で育てるか」を追求し、グラスフェッドに辿り着きました。



愛情かけて、のびのびと元気に過ごしてほしい

元々は高知県で会社勤めをしていた晋也さん。酪農に目を向けるきっかけとなったのは、新婚旅行先のニュージーランドでした。そこで目にした、広い草地の中で牛や羊がのんびりと草を食む姿が忘れられず、「放牧酪農をやりたい」と、29歳の時に酪農の世界へ。家族と共に北海道十勝へ移住し、酪農ヘルパーを経て、1992年に宮地牧場を始めました。

はじめの数年は目指していた放牧酪農を行い、経営は順調に進んでいました。ところが7、8年が経った頃、生まれた子牛の具合が悪くなる事態が次々に発生。その状況を目の当たりにし、晋也さんは自分が続けてきた飼い方に疑問を持ち始めます。

「そのとき与えていた配合飼料は輸入品で、農薬もかかっていました。牧草には化学肥料も使っていましたし、これが原因なのではと考えたんです」。これまでやってきたことは、牛たちにとって良くないことだったのかもしれない。しまいには酪農をやめることも考え始めるようになったという晋也さん。そんなときに出合ったのが、環境のバランスを考慮し、できるだけ自然の状態で農業を行う「バランス改善」という考え方でした。化学物質や抗生物質など人為的なものを使わずに進めていくこの方法を知り、晋也さんはバランスの崩れない環境づくりに取り組み始めます。それまで牛たちに与えていた配合飼料や牧草に使っていた化学肥料を使わないことに決めたのです。

とは言っても、配合飼料を食べることで作られてきた牛の体が新しい飼い方に順応するのは簡単なことではありません。発情が来なかったり、中には命を落としてしまう牛も。配合飼料をやめてから牛の体調が安定するまでに10年もの歳月が流れました。「途中、やめようと思うこともありました。でもここでやめたら、自分たちのやり方を押し通すために犠牲になった牛に申し開きができない。牛たちのためにもきちんと続けようと、何度も思い直してきたんです」。自然な環境で、いかに牛らしく育てるか。牛の力が一番発揮できるような環境を求め続け、「良い草を食べるのが一番自然だから」と、2020年秋には完全なグラスフェッドに。これまで補助的に与えていたビートパルプやでんぷんかすなども一切やめ、牧草のみを与える方法へ切り替えました。

「この子の名前はスプレッド。牧場の取り組みがもっと広まりますようにと願いを込めたの」。「見て、この子の写真。笑っているみたいでしょう」。倫子さんが楽しそうに牛たちの写真を見せてくれました。一頭一頭思いを込めて名前を付けられ、夫婦の愛情いっぱいに育てられた宮地牧場の牛たち。なだらかな丘の上に広がる牧草地で1年中放牧され、誰の目にも自由でゆっくりとした日々を過ごしているように映ります。夏は地面に生えた青草、冬は農薬・化学肥料を使わずに栽培された牧草を乾燥させたものをたっぷりと食べて。治療や予防のために抗生物質を使うことはなく、お産も自然分娩です。「ここ数年、獣医にかかっていないんです」と晋也さん。「牛たちの元気な姿を目にするのが一番うれしい」と穏やかな表情を浮かべます。

加工品の製造・販売を始めたのは、自分たちの行ってきた飼育方法を外へ伝えていこうと考えたため。「そのためには、製品を作って『こういう安全なものができますよ』と示すものがほしいと思いました」。作っているのは、バター、フロマージュブラン、アイスミルクなど。今は乳量のわずか数%の加工に留まっていますが、目標は全量加工です。

広大な牧草地の中、のびのびと草を食べ、すくすくと健康的に育った牛。彼らの体の中で作られた乳が人間にとっても安心・安全なものであるのは、言うまでもありません。作っているのは、自分や自分の大切な人に食べさせたいと思うもの。

「食べて栄養になる、元気になるのが食べ物の本来の役割だと思うんです」と倫子さん。そのあたりまえを大切にしていきたい。それこそが食べ物を提供している側の使命だと話します。 完全なグラスフェッドに移行してから、乳量はこれまでの5分の1ほどに減少。「経営面ではずっと苦労しています」と晋也さん。加工への道は、その課題を乗り越えるための切り札とも言えるでしょう。より一層多くの人に知ってもらうため、イベントへの出店や北のハイグレード食品への選定など、夫婦で協力して歩みを進めている最中です。

「グラスフェッドにしたことのデメリットと言えば、乳量が下がるのと、草が足りなくなるくらい」。苦労話をしながらも、晋也さんの表情はどこか晴れ晴れとしています。それはきっと、自身のやっていることに曇りのない確かさを感じているからなのでしょう。

日高山脈の麓に広がる小さな牧場で続けられてきた、2人の歩み。力強く確実なその歩みをこれからも応援していきたいと思います。

宮地牧場
上川郡清水町旭山539番地
0156-63-2684
https://miyajibokujou.com/
  • 1 日高山脈の麓にある宮地牧場。およそ48haもの広さの牧草地に約40頭の牛が暮らしている。
    2 1年を通して放牧されている牛たち。夏は林の中、冬は雪原へ。
    3 宮地晋也さん。妻の倫子さんと共に、自然のバランスを保ち「自然と人が共に暮らす」をテーマに酪農を営んできた。
    4 加工品の製造も自分たちで。
    5 バターは固形のまま溶かさず口に入れても、自然にスーッと体に染み込むようなさっぱりと軽い味わい。

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